小泉ポイントの波情報をいただいている、サーフショップ「かぶとむし」の鈴木さんよりレポートが届きました。
震災当日の様子や現在の復興の様子など、レポートが届き次第、順次掲載させていただきます。
3月11日。午前9時30分。小泉第2。セット腰。形の良い波にミニロングで入水。人数は自分を含めて3人。
午後、店の向かい側の建物の中にいた2時46分。
はじめソフトな横揺れ、次第に大きな大きな横揺れが長い時間止まらず。外に出ると、空が落ちてくるような“ゴーッ”と音が。
まるでスポンジの上を歩いているような気がしながら、国道を渡り、まず家の中へ。
中はめちゃめちゃで、とりあえず毛布と、バッグひとつ。
次男のラケット・携帯を持ち、自分の車へ。
店の裏口から入ると、炊飯器が二つとあちこちに散乱。
そこへ小泉大橋を渡って来たローカルサーファーが、「川の水引いたよ。ボード積むなら今だよ。避難しないと」
1年前のチリ地震のときもボードを積んで避難を経験済み。
長男と、ローカルサーファーと自分の車2台あわせて4台で。
サーフボード・ゴールデンの犬を積んで避難場所となっている高台のセブンイレブンまで2回搬送。
実はそのとき、大橋まで津波が来ていたと、後から知らされました。
気がかりだったのは、川向こうにいる中2の次男。
翌日の卒業式の送る側として、歌の指揮の練習のはずでした。
次男は体育館で地震を経験し、先生の尋常でない大声で外のグランドに出て、小泉海水浴場を飲み込む津波を見ていたそうです。
「母は死んだかも。」
そう思いながら一晩体育館で過ごしたそうです。

自分達はセブンイレブンの駐車場で、余震が止まらず、雪がぼたぼた降る夜。
少ないガソリンと、セブンイレブンのがれきの中から出された少ない食料を買い、
「これで何日長男と生き延びれるのだろう」
離れ離れの次男のことも心配で切なく思った夜でした。
翌朝、セブンイレブンから歩いて下に下りていくと、小泉は大きな海となっていて、店と、家の跡地は大きな川の中。
昨日までの姿は跡形もなく、中学校へいけるはずの大橋もありませんでした。
お店と家の跡地は大きな川の中
わずかな情報から中学校へのう回する道があると知り、長男達と、避難所となっているという小泉中学校へ向かいました。
やっと会えた次男は顔は青白くげっそりとしていましたが、お互いの無事を喜んだ瞬間でした。

小泉中学校避難所 560人。
生きていればこそ。
お互いの協力のもと、避難所生活が始まりました。
宮城県気仙沼市
かぶとむし 鈴木優美